いきいき日誌

 

2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近の記事

過去の記事

   これより以前
7月14日 (土)   原発事故時の避難計画

午後から、ドーンセンター視聴覚スタジオで開かれた、はんげんぱつ新聞創刊40周年企画「原発事故からどう逃げる?〜鎌仲ひとみさんとともに考える〜」に参加しました。
末田一秀さん(新聞編集委員)からは「原発事故時の避難計画は問題だらけ」の講演、鎌仲ひとみ監督からは、この2月に鎌倉の市民グループがヨウ素剤を自主配布したミニレポートの上映がありました。

末田さんの講演で、3.11までは10キロ圏内にしか防災計画がなかったこと、現在、3.11以後つくられた原子力災害対策指針よりももっと後退する内容の指針見直し作業が行われていること、ヨウ素剤配布の現状、各地で行われている避難訓練からみえる問題点を指摘され、最後に、真の防災計画は災害源除去、すなわち原発再稼働の阻止、脱原発の達成だと、結ばれました。
安倍政権は原発推進に舵を切っていますが、防災計画も後退させている事実を初めて知りました。
ここでも安倍政権は住民の生命を優先しないことを確信しました。
7月5日夜の「赤坂自民亭」もさもありなんです。

末田さんは、創刊40周年を迎える「はんげんぱつ新聞」(月刊、年3000円)の編集委員をされています。。
新聞創刊は故久米三四郎さん(高槻市在住)が各地の住民運動を結ぶために呼びかけられ、故高木仁三郎さんも編集委員をされていました。
私も創刊以来の読者ですが、原発をめぐる諸状況が網羅されており、とても勉強になり、おすすめです。

学生時代から、この春、府の職員を定年退職されるまで、反原発運動一筋の末田さんですが、今、福島では被災者同士が分断されているが、この間、3.11以後の脱原発運動が分断をとめることができなかったのはなぜだろうかと、発言されました。
私には、心に残る発言でした。とても重い問題提起です。

明日15日から反原発自治体議員・市民連盟主催の福島でのシンポジウムが開かれます。
3.11以後毎年開催されており、今回は私も参加予定でしたが、地震と豪雨災害が続き、参加を断念しました。
帰還政策を進める安倍政権ですが、そこで何が起きているのか、私たちはその現実をしっかり直視しなければと、心して帰ってきました。

今日は高槻でも38度でした。夜も28度でぐったり。水分補給に気を付けています。
皆さんもご自愛ください。


7月13日 (金)   環境問題と行政

午後から大阪市立大学へ。「科学と社会」の授業の一こま、「環境問題と行政」について話してきました。
90分の授業ですが、3部構成、まず40分はパワーポントを使っての講義とQ&Aタイム、次に対話型授業30分で、グループに分かれて話し合い、その結果発表に対し、私からの意見、そして最後にもう一度、ミニ講義10分という展開です。
そして、終わってから交歓会でした。
田中正造から入り、最後は、予防の原則で結んでいますが、質問や意見もたくさんいただき、なかなか充実した90分でした。

市大のキャンパスを踏んでほぼ50年、半世紀です。
全共闘運動のまっただ中、大学は封鎖中で、授業はなく、さまざまな問題提起にもがき苦しんだ青春でした。
懐かしくもあり、またその苦しさがあればこそ今の私があると、さまざまな出会いに感謝しています。

西日本豪雨災害、6日に大雨特別警報が出されてちょうど1週間、14府県で死者が200人を超えました。
行方不明者の捜索が続けられていますし、避難者は7千人とのこと、断水も続いています。
また、避難指示や勧告が出ている地域もあり、猛暑の中での泥まみれの復旧作業に、涙がこぼれます。

それでも、今日も国土交通大臣は参院内閣委員会でカジノの答弁、信じられません!
大災害時における、所管大臣が現場に行かず、賭博審議を優先するこのありよう、行政の責任が問われています!


7月10日 (火)   市民連合

市民連合高槻・島本の会議でした。
最初に1時間、6.18地震でそれぞれどのような影響をうけた等、意見交換をしました。
それぞれいろんな経験をされていて、とても勉強になりました!
こういう経験交流をすることはとてもたいせつですね!

市民連合高槻・島本では、発足後、月1回のペースで全体会議というのを開いて、意見交換やアクションを決めてきました。
今日は第22回、9月に開く連続講座第5回の内容、チラシ案を決めました。
テーマは、カジノを含むIR実施法案についてです。
ゲストは鳥畑与一さん、衆議院内閣委員会で、参考人として反対意見を述べらています。
9月15日(土)午後6時半〜、クロスパル8Fイベントホールです。
詳細は、またご案内します。

今日、参院内閣委員会でこのIR実施法案が審議されました。
この法案の責任者は石井国土交通大臣、6時間、豪雨災害に向き合いませんでした。
人命より「カジノ」の優先、これが石井国土交通大臣、安倍政権の本音です(大怒)。


7月9日 (月)   罹災証明

午前中、市役所に。一部損壊の罹災証明書をいただきました。
待ち時間はあまりなく、書類記入、受付、発行まで、30分ほどでした。
受付は、宮城県名取市、富田林市、高石市、熊取町など他自治体から応援に来て下さっている職員の方が、担当しておられました。
とても親切に対応して下さっていて、うれしかったです。

西日本豪雨災害に対して、昨日、高槻市からも倉敷市に職員の方が4名応援に行かれたとのことです。

6月18日の地震以後、職員の方々はお疲れのことと思います。
こうして他の自治体との相互応援、被災地にはほんとうにありがたいことです。

被災後、困り果てて市役所に相談に行った市民は、そこで声をかけて下さる職員の皆さんのひと言ひと言にどれだけ励まされることか。
時間が経つにつれ、問題を解決できない市民は、ストレスを抱えます。
職員の皆さんの温かい対応、よろしくお願いいたします。

午後からはまた大雨警報がでました。
幸いにも激しい雨にはなりませんでしたが、またまた緊張しました。

安倍首相は、11日から18日までの予定だった欧州・中東訪問を急きょとりやめました。そして被災地訪問をするとのことです。
政府あげて被災地の行方不明者の捜索、復旧に全力をあげるのかと思ったら、あにはからんや、そうではありませんでした。
国会審議は中断し、災害復旧に力を尽くそうという野党の意見を押し切り、柘植芳文委員長(自民党)は、参議院内閣委員会でカジノ実施法案を審議することを職権で決めたとのことです。
13府県で死者は120名を越え、また連絡が取れない方も79人おられます。
政府も国会議員も、省庁またがる大災害対策に全力で取り組むべきではないでしょうか。
大災害よりもカジノを優先する安倍自公政権、カジノより「命」「暮らし」でしょうと、声を大にして叫びたい!


7月8日 (日)   豪雨災害

西日本を襲った豪雨により、想像に絶する甚大な被害が広範囲に起きています。
あまりの惨状に、言葉がありません。
ご親戚や友人、知人が被災された方も多いのではないでしょうか。
ただただ、お見舞い申し上げます。

高槻では、ようやく青空が見え、大雨警報も土砂災害の避難指示も解除されました。
午後3時40分頃に携帯の緊急情報で知り、ホッとしたのも束の間、3時45分に「ドーン」と震度2の余震でした。
6月18日のあの地震以来、ちょうど3週間です。でも、気が休まりません。いつになったら、ゆっくり休むことができるのでしょうか。

「備えあれば憂いなし」で、家具の転倒防止を徹底し、いざという時の水や食料のストック、非常持出袋(私はバッグに詰めています)等準備し、気をつけています。

それにしても、安倍政権の対応の遅いこと!
7月5日の未明には大雨警報が出され、被害が出始めていました。
6日、7日、被害が西日本各地に広がっているにもかかわらず、今朝、ようやく「非常災害対策本部」を設置しました。本部長は安倍首相ではなく、国務大臣なので、安倍首相は11日から外遊に行けるのだそうです。
あきれ果てています。


7月2日 (月)   被爆アオギリ2世

午前中、地元の芥川小学校へ。体育館横に植えられている被爆アオギリ2世を見せていただきました。
2008年に植樹されているのですが、広島への修学旅行時に広島市長からいただき、植られたものです。
一昨日、西尾さんは、沖縄戦の遺品から何を学ぶか、沖縄戦の語り部がいらっしゃらなくなるなかで、遺品から感じ取ってほしい、考えてほしいと、言われました。
昨日、崎山さんは、被爆者が少なくなるなかで、二世が取り組まなければならない、伝えなければならないことがあると、言われました。
次の世代に「記憶の継承」を!
そう思うと、平和学習として、高槻市の小学校で取り組まれてきた被爆アオギリ二世の植樹、植えられた樹を私たち市民も大切に育てていかなければと思います。


7月1日 (日)   核廃絶を!

「非核・平和のひろば−ノーモア・ヒバクシャ 核廃絶を」発足の集いが開かれ、参加しました。
会場は総合市民交流センター・視聴覚室、熱気にあふれた集いとなりました。
崎山昇さん(全国被曝二世団体連絡協議会会長)の講演を聞かせていただくのは私は今日が初めてでした。
講演『被爆二世運動と核廃絶』に、始めて知ること、気づかされることがたくさんありました。
後の質疑応答や意見交換の中でも語られた崎山さんの問題意識、私たち市民が「戦争と平和」展を開催するに至った問題意識と共通することもありました。
被爆二世の運動の柱は2つ、健康被害に対する人権保障、核廃絶です。
そのために、国連人権理事会にも何度も訴えに行かれました。
「裁判に訴え、勝利しないと、何もしない政府」とは、公害問題で「後追い行政」と言われた所以です。
核廃絶のためには、プルトニウムをつくりだす原発もとめなければ。
被爆2世の問題と、福島の避難者の方、原発で働く被曝労働者、すべてがつながっていることをあらためて認識できた集いでした。
 

■ご意見・ご要望はこちらから
wasabi@osk3.3web.ne.jp

     
         

©二木洋子事務所